朝ノッチのぷーたろう日記

最近ぷーたろうに転身(?)した浅野氏によるぷーたろう日記です。ちょくちょく書いてくれるそうです。ありがとうございます。

9月26日

今日もあの音がする。
気になった近所の人が,音のするほうへ行ってみたそうだ。
すると,どこかの宗教団体が山の向こうの牧場を借り切って,一晩中あやしげなイベントをしていたらしい。うるさいと苦情をいう人には,入場料6000円もするチケットをただで配っていたという。
夜中まで大音量というのがいかがわしすぎではないか。ちょっと行ってみたい気もしたが。

川上村はちょっと前まで,オウムの問題で大騒ぎをしていた。それも夜中に妙な音がするというので,村民が調べてみるとオウムが無許可で地下室を掘っていたのだそうだ。それで出て行け出て行かないの騒ぎになり,結局,村長がオウム側に村の金を払って追い出した形になった(それはそれで問題だという週刊誌記事のコピーも,村中に出回っていた)。すぐ近くの清里でもまったく同様の騒動があった。
このあたりは宗教団体のお気に入りの場所のようだ。


9月25日

いつものように畑に出ると,どこからともなくコンコンドンドンと単調なリズムがかすかに聞こえてくる。おやっさんとおばさんが畑に出てきた夜中の2時ごろ(いつ寝てるんだろう,まじで)にはすでに鳴っていたという。
山のほうから鳴っているようでもあるし,道端に停まった車のステレオからのようでもある。その音は夕方まで続いた。


9月22日

知ってる人も多いと思うけど,俺のぷーたろう生活は来年4月までの期間限定だ。それ以降は神戸新聞社で働くことに一応なっている。
その神戸新聞からは定期的に宿題を出される。いろんなテーマについてレポートを提出せねばならないのだ。

今月末がレポートの締め切りである。
肉体労働の合間の資料読みや執筆はなかなかにハードな作業だが,そういう忙しい時に限って,飲んだりテレビや雑誌を見たくなったりする。ぷーたろう日記を書くのもよい息抜きになっている。


9月19日

出荷編。昨日の続き。
野菜をヤミに流すことをJAは認めていない。ばれれば,組合員を脱退せねばならないこともある。
でも,実はヤミの人もぽつぽつといる。トミジローさんもそのひとりだ。トミジローさんがヤミ業者を利用しているという噂は公然の秘密で,陰ではヤミジロー,ヤミジローと揶揄されている。人目につきにくい畑に,どでかい4tトラックが停まっているのを俺も見たことがある。

どこの家もそうだろうが,いい野菜ができた時に限って値段は落ちるものだ。また,値段が高いと,形が悪くっても小っちゃくても,何でもかんでも箱に詰めて出荷してくるタチの悪い奴がいる。JAの出荷場には野菜の検査員がいるのだが,よっぽど悪い野菜でないとけちをつけないから,それにつけ込むのだ。
野菜にけちをつけるかどうかは,組合員が一番もめるところである。仲間にはどうしても甘くなってしまいがちなものだし,かといって悪い野菜を何でも通していると,価格が落ちてよい野菜を出荷している人から不満が出る。
検査員は,組合員が2年間交替でやっていて,あの時けちをつけられたから検査員になったときはあいつには厳しくしてやるとか,ややこしい関係があるようだ。
元新日本プロレスラーの何某さんなんかは,巨大な体して,いかつい顔して,ぎりぎりの野菜を堂々と下ろしていく。文句言って,ブレーンバスター決められた検査員もいたらしい(ウソやけど)。


9月18日

野菜の話,出荷編。
獲れた野菜は大きさ別にダンボールに入れる。形が著しく悪いものはまた別に分ける。形が悪くっても食えるから,そういうのは千切りにしたり漬物にしたりする加工業者に売られることになる。

獲った野菜はすべてJA(農協)に持ち込まれる。そこに仲買業者のトラックが次々にやってきて全国に配送される。九州とか沖縄にも配送されるのだが,結局店に並ぶのは野菜を切ってから4日後くらいになるらしいから,あまり新鮮とは言えないわな。首都圏や関西なら切った翌日には市場で取り引きされ,遅くとも2日後には店に並んでるだろう。

野菜はすべてJAに持ち込まなければならない。JAの組合員は毎年の契約でそう決められている。ただ,それを守らず,独自で仲買業者と契約を結び,JAに隠れて出荷している人もいる。それを村では「個人出し」とか呼んでいる。すなわちヤミ売買である。
JAが農家から買い取る野菜の値段は,市場価格に左右されるため,本当に変動が激しい。高値で売れていた野菜が3分の1,4分の1の値段になることもしばしばなのである。その点,ヤミに流している人の場合,業者と年間契約をして一定の価格で取り引きすることが多く,安定した収入を見込めるというメリットがある。


9月15日

岡山での葬式を終え,村に戻ってきた。
村では「信州川上村 飲むレタス」という缶ジュースが発売されていた。広告のポスターでは,島田陽子がレタス畑で手を広げて立っていた。よく意図が見えん。

レタスを絞って作ったジュースらしい。絞るな,レタスを。
飲んでみたが,普通の味覚ではふた口以上は受け付けないと思う。
誰かに嫌がらせで送りつけてやろう。


9月12日

村でマラソン大会が開かれた。大した大会ではないそうだが,全国各地から選手が集まっていた。
僕はといえば祖母死去のため,朝一番の電車で京都に帰ることになってしまった。87歳だから大往生だろう。祖母自身ももういいと思ってたんではないかと勝手に想像する。
ただ,死に目に遭えなかったのは心残りだ。もう荼毘に伏してしまったので死に顔も見れない。親に,亡くなった祖母の写真を撮ってくれないかと頼んだらやめとけと言われた。
帰りの電車から外を見たら,マラソンランナーが列を成して走っていた。みんな踏み切りまで来ると,足踏みをしながら電車がゆくのを待っていた。どんなマラソンやねん。見たことないぞ。


9月7日

柳沢オヤジが,9月から川上村にバイトに来ているというので,待ち合わせをして会った。
知ってるかなあ,柳沢オヤジのこと。ハルキ邸で麻雀しながらくだ巻いたり,ある時は俺んちでハルキさんにぼこぼこ殴られていた好青年(?)です。
ここが都会なら飲み屋か喫茶店で一服ということになるんだけど,そんなものはほとんどないので,スーパー「ナナーズ」の前で缶コーヒー片手にくっちゃべっただけ。
ここに来るのは2年前に次いで2度目のことだそうだ。一見農業とは無縁そうな人だけど,仕事はけっこう気に入ってるみたいで,ばりばり働いてるようだった。一緒に働いている二十歳そこそこの兄ちゃんもやってきて,柳沢オヤジとため口でしゃべっているのがちょっと笑えた。


9月2日

ついに,蜂の子を食す。
昨日,おじいちゃんが車を運転していたとき,フロントガラスに蜂がぱちっと当たったそうだ。おじいちゃんは,その蜂が土を運んでいたことを見逃さなかった。
はじめて知ったのだが,土の中に巣を作る蜂もいるそうだ。つまり,その蜂は地面に穴を掘って,その土を捨てに行ってたわけだ。
おじいちゃんは車を降りて,その蜂を追いかけた。途中で見失ったらしいが,大体の見当をつけて蜂の巣を探すと,ほどなく見つかった。こぶし大の穴が開いていて,そこから頻繁に蜂が出入りしているのだそうだ。

おじいちゃんは,いったん家に戻って,蜂に刺されてもいいように重装備をして蜂の巣をとりに行った。なんでもその穴の中に,煙の出る花火のようなものを投げ込んで蜂を麻痺させておいて,一気に蜂の巣をえぐり取ってしまうのだそうだ。

俺らが仕事から帰ると,ビニール袋の中に蜂の巣が7つほども入っていた。六角形をした格子の中に米粒ほどの白い虫が見えるのが,蜂の子だ。おじいちゃんがそれを一個一個ピンセットでつまみ出し,おばあちゃんがそれを佃煮にした。

さて,味は。じっくり煮込んであって,味付けも濃い目なので蜂の子自体の味はよく分からない。でも,噛み潰したときのぶちゅっという感じは,うじ虫を噛んでいるとしか思えない。うまかない。これをおいしいというのは,何か大きな勘違いにちがいない。でもおじいちゃんは,ほれ,うめえだろう,と言いながらご飯にかけてばくばく食っている。缶詰で売っている蜂の子は数千円もするそうなので,俺もせっかくだからとかきこんだ。


8月29日

うちに泥棒が入った。
別件で逮捕された男が,2ヶ月ほど前にうちからも金を盗んだと自供したらしい。駐車場に止まっている車から5000円ほど抜き取ったのだそうだ。
でも,家のものは誰ひとり,盗まれた覚えがない。警官が話を聞きに来たが,みんな「盗んだ言われてもなあ」と困り顔だ。

うちには車が5台,トラクターが3台あるが,仕事でしじゅう使うので鍵はつけっぱなしにしていることが多い。大体どこの家もそうらしい。男もそれを知っていたようで,村中の車を荒らしまくったのだそうだ。


8月27日

ちっちゃいとき,名前を逆から読む遊び流行らんかった?
「あさのひろあき」だったら,「きあろひのさあ」とか言って喜ぶ奴。遊びってほどでもないが。
こんどうまさきっていう友達は,逆から読むと,きさまうどんこ(貴様うどん粉)だから嫌だって言ってたっけ。

新しい言葉遊びを仕入れました。
それは名字の頭文字1字と名前の頭文字1字を入れ替えるだけなんですけど。けっこう笑えるよ。

例えば,「鈴木あみ」だったら「あずきすみ」,「広末涼子」なら「りろすえひょうこ」っていうふうに。それだけなんだけど。
「アントニオ猪木」とか「ジャイアント馬場」ていうのもかなり面白くて,それぞれ「イントニオあのき」と「バイアントじゃば」などとなります。

HOTOKEビトで思いつく名前などもやってみました。
例えば,武智寛之では,「ひけちたろゆき」となりますな。たろちゃんっぽくなるわけです。意味わかんないけど。
柏谷林太郎というのも,なかなかかっこいい名前ですが,「りしたにかんたろう」というのもりりしくてよいんではないでしょうか。

では,HOTOKEビトで面白かったベストスリー。
3位,山田博。「ひまだやろし」となります。ヤンチーがさらにトボけた味を出し,さらに牛に近づいた感じです。
2位,山田由里子。「ゆまだやりこ」だって。とにかくヤッてくれそうな気がします。山田姓,強しですな。
1位は,中野俊夫。「とかのなしお」です。なしおだって,なしお。漢字にすると,渡嘉野無男でしょうか。何かが足りない人のようです。このほうが,中野の本当の名前のように思えてきました。

以上です。皆さんも周りの人で試してみてください。


8月23日

たまには野菜の話。苗植え編。
今日,レタス,グリーンリーフ,サニーレタス,白菜の苗をすべて畑に植え終えた。これらはビニールハウスで種をまいて,芽が5cmくらいに成長したところで,畑に植えかえるのである。
村では,「ツバメが巣立つまでに苗植えはしておけ」と言われたりする。うちのビニールハウスの中にも,ツバメのつがいが巣を作っていたのだが(カラスから身を守るため,ツバメは割と人気の多いところに巣を作るらしい),最近子ツバメも空を舞うようになり,ハウスの中でツバメの姿を見ることが少なくなってきていた。

これ以上,苗植えが遅くなると,収穫の時期には気温がぐんと下がっていて育ちが悪いものしか獲れなくなるのだ。これからは収穫と出荷が主な仕事になる。


8月19日

昼休み,横になってうとうとしていたら,福山さんが荷物を取りに突然現われた。辞めてしまうなんて,これっぽっちも思っていなかったので,何と声をかけてよいのか分からなかった。
いつもはめちゃしゃべりな福山さんもばつが悪そうで,多くは語らなかった。「ごめんな,元気でな」と去ってっちゃった。
齢も一番近かったし,とても話の合う人だった。


8月17日

お昼に再び福山さんから連絡あり。
電話を受けたおばさんに,「辞めたい」と言ったそうだ。
トラックの運転手の仕事を見つけたとも言っていたらしいが,おばさんは信じていないようだった。俺も,理由はそういうことじゃないだろうという気がした。昨日までは帰ってくる気持ちがあったようだったから。それに荷物も部屋に置きっぱなしだし。

町田で何か楽しい約束を取り付けたに違いない。川上村で休みなく働いていては味わえないものが,たくさんあるはずだから。


8月16日

お昼に福山さんから連絡あり。
パチンコでお金をスッてしまった,送金してくれ,だって。
おやっさんがすぐ,電車賃を近くの銀行に振り込んだ。
が,夜になっても福山さんは姿を見せなかった。

夜は,村の花火大会。バイト3人とうちの人とで見に行った。40分ばかり星空が明るくなった。夜店が出ていた運動場は,村中の人が集まったかのような賑わいだった。


8月15日

昨晩帰ってくるはずの福山さんが帰ってこない。合コンが楽しすぎたのだろうか。仕方ないので彼抜きで仕事をした。


8月14日

8月の休みは今日だけである。
福山さんは,「ヘルス嬢と合コンあるし町田帰るわ」と言い残して昨日のうちに出掛けてしまった。彼はいろんなドラッグを食い散らかした経験のある人で,運転手をしていたときは覚せい剤を打ちながら三日三晩寝ずに働いたこともあるとか言っていた。「合コンでもヤク持っていって,ウッシッシ」だって。

俺は甲府に出た。


8月13日

バイト部屋にはCDが一枚だけある。俺が休みの日に買ってきた,椎名林檎の「無罪モラトリアム」だ。椎名林檎が20歳,宇多田ヒカルが16歳でしょ。参るぜ。俺そのくらいの歳のとき,鼻たらしてたぜ。

でも椎名林檎って宇多田ヒカルの10倍くらい好き。すげえ才能だと思う。無罪モラトリアムは,俺を川上村からは遠いところへ連れていってくれる。人をして別世界へ連れてゆくのがいい音楽のひとつの条件だとすれば,俺にとってこのアルバムは傑作だ。部屋にはこれ一枚しかないけれど,2ヶ月くらいなら飽きずに聴ける気がする。


8月12日

「モリヤマ」という畑がある。その隣のモトユキさんちの畑で,畑じゅうのレタスというレタスをすべて鎌で切って捨てていた。今年は長雨などの影響で,レタスの葉が黒くなってしまうタール病が流行しているのだが,こんなに捨ててしまうのは珍しい。

おやっさんによると,これにはいろいろな理由があるらしい。
今その畑は30代半ばのモトユキさんが仕切っている。見たところ目付きが鋭く,こちらが挨拶してもうんともすんとも言わないような無愛想なところのある人である。近所づきあいもほとんどないらしい。

モトユキさんは,まさか畑を任されるとは思っていなかったのかもしれない。というのも,昨年のちょうど今ごろ,父親のハンジさんが交通事故で急死したのだ。実の娘の乗る自動車にはねられての即死だったそうだ。ハンジさんは,畑に出たら飯も食わず人の3倍も4倍も働く人だったらしい。野菜の出荷量も,100家族ほどもいるJAの組合の中で常に5本指に入るほどだった。

ハンジさんは,一人息子であるモトユキさんにずいぶんと期待を寄せていた。しかしモトユキさんはろくに畑にも出てこず,仕事も覚えようとせず,ハンジさんがかみなりを落とすこともしばしばだったという。あまりに仕事のできすぎる親と比べられることは,あるいは酷なことかもしれない。

ハンジさんが亡くなった後も,モトユキさんは何か気に入らないことがあると畑には姿を見せない。おばあさんとバイトだけがゆるゆると働いていることもある。出荷量はめっきり減ったそうだ。


8月11日

昨夜は夜更かししたので,4時半起きがツラい。
最近は夜9時を過ぎると,まぶたが重い。

仕事が終わるのは夕方の6時。風呂入って飯食って7時。
昨日はバイトの長老,イケさんと飲みにけり。
飲むのは俺とイケさんしかいないのだ。
イケさん37歳は山梨の農家の出で,バイトでは仕事のことを一番よく知っている。学校を出てからいろんな職につき,そのうち4つの会社では倒産に巻き込まれたという,企業クラッシャーである。もちろん会社をつぶしたいわけではなく,会社がつぶれてしまうのだ。「俺働かないほうがいいんじゃねえか」と真剣に考えたこともあるそうだ。新聞販売所での仕事も長く,ぜい肉のまったくない人である。

バイトではそのほかに,「中2の時にちょっと悪いことをして」教護院だかに1年間入れられ,高校は全寮制の男子校で過ごし(敷地からは朝晩問わず一歩も出られないそうだ),その反動か卒業後は暴れ回っている元トラック運転手福山さん28歳や,高校を4月に卒業したばかりだがピチピチとはしていない,石井くん19歳もいます。


8月9日

川上村では噂はたちまちにして広がる。どこんちの野菜は出来がいいとか,どんな作り方してるかとかはもちろんのこと,マサルちゃんがいくらの生命保険に入った,ハンジさんが甲府のフィリピーナに入れあげてた,なんてのも筒抜けである。村では互いに知らない人もなく,付き合いがなまじっか緊密なものだから,仲がいいか悪いかがはっきりする。何かにつけては,自分のうちで穫れたものなど持ち寄って宴を催す一方で,先日は大の大人が殴り合いのケンカをしてひとりは入院しちゃった,てな具合である。

村内放送という,都会ではちょっとお目にかかれない代物もある。これは村内の各家庭や畑のあちこちに設置されたスピーカーから,いろんな情報を半強制的に流すというものだ。明日のレタスの出荷は何時までにしてください,村のどこそこで健康診断があります,村の誰々がお亡くなりになりました,バイトの何某さんがいなくなりましたので見かけた方は連絡を,などといった情報がどこにいても聞けるようになっている。今日は長崎に原爆が落ちた日だということで,黙とうして下さいという放送があった。


8月7日

川上村では物々交換が盛んだ。トウモロコシがいっぱい取れたからあの家に,とか,今日はどこそこの家から枝豆をもらってきました,というやりとりは普通のことだ。そうやって毎日の献立は出来上がる。またこのあたりでは猟もしているから,鹿や熊の肉なんていうのも手に入る。家の冷蔵庫にも熊肉が眠っていて(かなり高価らしい),今度食わせてくれるんだって。

長野県っていうのは,割といろんなものを食べるみたいだ。川上村に来る途中,塩尻駅で電車待ちの時間があったので,駅を出て蕎麦屋に入ったら,いなごとか蜂の子とかの料理が当然のようにメニューにあった。頼まなかったけどね。

ここのうちの人に聞いてみても,いなごや蜂の子はときどきは食べるようだ。特にうちでは養蜂も営んでいて,蜂の巣をこしらえて蜜をとったりしてるので,蜂の子も簡単に手に入るのだ。でもねえ,幼虫でしょ。


8月5日

親方である「おやっさん」は,名を由井典一という。
ちなみにこの村に住む人の3割くらいは由井という名字である。

このうちの家族は7人である。

戦争で中国に赴いたおじいちゃんが,川上村に帰ってきてすぐ野菜作りを始めた。今でこそ,川上村はレタス栽培のメッカであるが,そのパイオニアはおじいちゃんたちだったという。
今この家は畑を8つばかり所有していて,そのうち「キリクサ」と呼ばれる一番大きな畑は,優れたレタスを栽培する畑として農林水産大臣賞をもらったことがある。そのときは家族して皇居に招かれ,一般には公開されていない宝物なども拝んできたんだそうだ。

おじいちゃんは齢80を超えるが,バイタリティーあふれる,しゃんとした老人だ。心臓にペースメーカーを入れたため,去年から畑仕事はしていないそうだが,やはり畑のことが気になるらしく,ちょくちょく畑に顔を出しては人の倍のスピードで作業をする。そして夜になって家に帰ると,発作で地面にうずくまったりする。若い者たちは手伝わなくていいというのだが,はいはいといいながら人一倍からだを動かしている。

この村の周りには,歩いて行けるほどの山が大小含めいくつかある。そしておじいちゃんはこれらの山のことを本当によく知っている。どこにどんな山菜やきのこが生えているのか,あるいは山に住む熊や鹿などのことがきっちり頭に入っている。
何十年も自分の足で歩き回って蓄えてきた知恵である。
今日は何々を採ってくる,と言って山に出かけてはそれを持ち帰ってくる。山のどこに採りに行ったのかは家族にも決して明かさない。

おやっさんが野菜作りの2代目に当たる。
身体を動かすのが何より好きという,根っからの山ビトである。ひまがあれば釣りに行ったり山に登ったりしている。
このおやっさん,もともとは東京で電気工事などの職人をしていた。しかし30歳を前にして川上村で畑に出ていた叔父の死に遭い,川上村に戻ることを決意した。
いずれ親父の後を継いで農業をしようとは考えていて,「そろそろかな」ということだったらしい。
それで若くしてもらったお嫁さんと娘二人を連れて,畑に入ることになった。

お嫁さん,すなわち今のおばさんは秋田に生まれ,東京で学生時代を過ごしたそうだ。そこで知り合ったおやっさんと結婚した。最初は川上村にゆくことを快く思っていなかったようだ。都会での生活に慣れてきたという理由もあっただろう。
立ち並ぶビルに囲まれての生活が一変して,見渡す限り,山,山。
「窓を開けても,山っきりでしょ。最初はそりゃあ,まあいにち,泣いてたさあ」
とおばさんは笑いながら言う。今では畑仕事の似合う肝っ玉かあちゃんである。

子供は娘ふたりに息子がひとりいる。息子の優規くんだけは川上村で生まれた。もう中学3年生である。父親に似て釣りが好きで山登りが好きな,野生児だ。中学校では野球部と陸上部を掛け持ちし,走り高跳びでは長野県で4位だかに入ったこともある。将来は農家を継ぐそうで,おやっさんとおばさんはとても楽しみにしている。優規くんたちの時代の農業はまた今とはずいぶん違うんだろうな。娘ふたりは東京でふたり暮らしをしながら,それぞれ学校に通っているんだと。

あとは,おばあさん。3年前から畑には出なくなったので,家事全般をしている。バイトたちのための炊事,洗濯もしてくれる。時には,おやっさんとおばさんには内緒で,お小遣いをくれたりする。こちらが恐縮してしまうほどよくしてくれる。
おばあさんも川上村出身である。歩いて1分のところに実家があり,そこにはおばあさんにそっくりの人がいて,妹なのだという。


8月1日

川上村に来て1ヶ月。
夢見ていた晴耕雨読の日々は遠く,晴耕雨耕の毎日を送っている。

いやー,しかし暑いねえ。
ここは標高1300mだから,朝と夜には長袖が必要なほど寒いけど,日中は太陽が近くって肌が焦げそうだ。
俺は相変わらず,トラックで畑踏んだり切っちゃいけない野菜切ったりして,
「何しとるだー」「そうじゃないずら―」
と,東京で働いていた頃の10倍くらい怒られながら働いている。
7月の休みは,結局1日だけやった。
そんときは仲間3人と電車で1時間半ほど揺られ街へ出た。
佐久平ってとこ。このあたりでは珍しくビルのある街。
デパートっちゅうもんを久しぶりに見た。
買い物して,パチンコで負けて,飯食って,20時ころ駅に戻ったら,最終電車終わっとった。なんで,夜の8時で電車ないねん。
途中の駅まで電車で帰って,そっからタクシー乗った。1万円くらいした。3人で男泣きや。

ちょっとレタスの話もしておこう。
「レタス作りは博打だべ」
ここのうちのおやっさんは言う。
毎日ダンボール300箱くらい出荷してるけど,買い取ってくれる値段は日毎に変わる。1箱1000円の時もあれば2000円の時もある。
その上,各農家であまりにレタスが取れすぎると,「廃棄」っていって,収穫したレタスの2割とか3割とかを強制的に捨てさされる。
畑に新鮮レタスが山積み。腐るのを待つのみ。もったいない話や。

それに野菜は天候にすごく左右されるしな。
ここでは,レタスの他にサニーレタス,グリーンリーフ,白菜も作ってるけど,それぞれの野菜に,日照りに強い品種とか,雨に強い品種とかあって,同じ天候でもそれぞれ出来が違う。今年の梅雨は雨をいっぱい降らせたから,野菜がきちんと育たなかった畑もけっこうある。

先月の後半は,近所で大きな事件がふたつばかりあった。
両方,働いているうちの親戚にあたるうちで起こった。
ひとつはアルバイトが逮捕されたこと。
30歳になる男だそうだが,留守中にうちの金庫を抱えて逃げようとした。家の者が運良く帰ってきて取り押さえたらしい。
警察が来てた。新聞にも載った。
こいつは20kgはあろうかという金庫を抱えて,どうするつもりだったのだろう。電車に乗る気か。

もうひとつは,畑に立っていた5mくらいの高さのライトが倒れてきて,おじいさんの頭を直撃してしまったことだ。重症らしい。
農機具ってけっこう危険で,大きな事故の話をしばしば聞く。
村に広がる畑には,ときどき慰霊碑が立っている。
不慮の事故で命を落とした人を弔うために作られたものだ。


7月20日(火) ぷーたろう、農村に入る

今,オレはEメールの極めて使いにくい環境にいんねん。
7月はじめから,長野県の川上村というところで野菜つくっとんねん。9月か10月まで。毎朝4時半に起きて,畑でてんで。
種まいて,苗植えて,収穫して,出荷して。
日焼けして真っ黒で,筋肉ももりもりやで。
携帯も通じひん。部屋に電話もあらへん。
メールとかチェックするためには,歩いて2,30分かかる信濃川上駅っちゅうとこまで行かなあかんねん。
週に1,2回行ってるけどな。

休みはまったくあらへん。今後はくれるらしいけど。
この村の人は,4月から10月まで休みなく働いて,あとの半年は丸々休むらしい。なんじゃいそれは。
ただ,不便といえば不便や。
コンビニが1件あるけど,それ以外は何もなし。ほんまに何もなし。
買い物とかパチンコとかカラオケとかレストランとか,そんなしゃれたもんは電車に乗っていくのが基本や。

便所はぼっとんやで。便が日々ケツの下に近づいてくんのは怖いで。
ほんで,しゃれならんほど臭いで。
スウィーティーに感じるには2週間はかかるな。
バイトはオレを含めて4人。男ばっかし。むさいで。
この村はフリーターの溜まり場みたいなとこや。
普段は4,5千人の人口が夏には1000人ほど増えるらしい。
周りは皆農家で夏だけバイトを雇うねん。
たまに女性もおるけど,大体は男や。
一緒に働いてる28歳の元トラック運転手なんか,
「あんな,実はな・・・。中学生みたいやけど・・・。
1ヶ月も出してへんからなあ」
夢精しよったで。むちゃ受けた。

この村,変な奴いっぱいおるで。
最近は,オウム信者が家建てたりして問題なってたし。
今働いているうちも,昔知らずに指名手配犯を雇ってて,そいつがバイト全員の金目のもの盗んでトンズラこいたらしい。
なんじゃいそれは。

ま,基本的にはストレスの少ない生活を送れる場所や。
せちがらくはないやね。自給自足的生活で,十分飯もうまいし。
お暇ならおいで。
マヨネーズ持参してくれたら,レタス食い放題。
畑から好きなだけちぎってかぶりついてよし。
どや。いらんか?

そんな近況でした。


2月16日(火)

4コママンガ「関東HOTOKE会」

●第1話 じゃんけん

第1話
「おんどりゃー,何ガンたれとんねん。わしゃー三崎じゃー。じゃんけんで白黒つけたろやんけ」
「じゃん,けん,」
「ぽん! チョキでしたー」
「俺の勝ちー! もうガンたれんといてね」

●第2話 眠い奴ら

第2話
「武智,HOTOKE関東支部はどうや」
「眠い奴らばっかりですね」
「こんな感じで寝てしまいそうです」
「寝んなよ,武智ー。あぶらビーンズ!」
「あほか。しめるぞ」

●第3話 入江氏のランク

第3話
「鼻からうどん出すから見て」
「どう? 出たやろ?」
「武智,さっきのうどんで俺のアホランキング上がった?」
「眠いわ。帰れ」

●第4話 発光

第4話
「おい,あさの。どっちがオデコ光るかやろうぜ」
「はい」
「せーの」
ピッカリ!
「あさのもけっこうやるな。俺が一番光ると思ってたのに」
「もっかいやってみよっ」
ピカッ!


2月12日(金)

3年間暮らした東京で,特に通ったお店ベスト3。これからあまり行けないと思うと残念だけど。

・第1位 レストラン「アップルポット」(野方)

家から歩いて5分くらいの場所にあるレストラン。50を過ぎたくらいの夫婦とその息子がやっている。洋食が中心で,ちゃんと数えたことはないけどメニューの種類が100種類以上はある。そのどれもがオリジナルな料理で(平凡なカラアゲ定食とかハンバーグ定食とかいうのは一切なし),ハズレがない。しかも安い。毎日のように通っていた時期もあった。

東京で一番通った店だけど,メニューのすべてを食べきることはできなかった。それは,たまに出す「オススメ定食」がすごく美味そうでつい注文してしまうからだ。
「町の定食屋がトンカツを今日のオススメ料理ですとかいうのはサボってる証拠です。それじゃあホテルのシェフにどんどん差を付けられてしまうだけでしょ」
マスターはいつも新しい料理のことを考えている。ドライブとかしながら思いつくことが多いのだという。味についてはもちろん,歯ごたえとか見た目とか,料理のイロハをマスターにはいろいろ教わった。

・第2位 寿司屋「魚がし」(都立家政)

夫婦でやっているカウンターのみのお寿司屋さん。回転寿司なみの値段で,むちゃうまである。友だちとかともよく来た。ここの主人は妙なこだわりがあるのか,すべての客の勘定を頭の中で計算する。ネタによって値段はまちまちだし,皿の色もネタによって変えているわけではないのだが,たらふく食い終わってさて帰ろうかということになると,「××円」と勘定を把握しているのである。客がひとりふたりならできそうだけど,7,8人の勘定を雑談とかしながら分かってるんだからすごい。

ある時,自分でも勘定を暗算しながら食べていたことがある。ビールにあなご,はまち,あじ,こはだ,たこ,ほたて……。きっちり計算したあと店を出る段になると,「ありがとうございます。××円ね」と主人。思っていた値段よりもちょっと安かった。計算間違いなのかサービスなのかは分からないし聞いてもいない。その後もちょくちょく顔を出すが,それ以来自分で計算したこともない。謎のままである。

・第3位 喫茶店「カラコルム」(神保町)

昼食や仕事の打ち合わせなどで時々喫茶店を利用することがある。神保町に用事があるときはここをよく利用した。カレーやスパゲッティ―はインスタントのものを使っていてどちらかといえばまずいし,コーヒーだって種類こそたくさんあるものの他の店と比べて格別においしいというわけではない。それなのに,この店はいつだってめちゃめちゃ賑わっている。それには確実な理由がある。

バイトしてるふたりの女の子がかわいいからである。かわいい上に愛想がいい。ほんと客商売に向いてると思う。客の8割以上は彼女らのつくる店内の雰囲気にひかれて通っているという風である。彼女らのいなくなった後の店が心配だ。まじで他にとりえがないもん。


2月11日(木)

バイトと徹マンで懐はほくほく。朝帰ってきて,そのまま泥のように眠る。
午後3時ごろ目を覚ますとぼたぼたと大雪が降っていた。
引越しの荷作りを少しして,あとはひたすらお勉強。


2月9日(火)

中野税務署にて確定申告完了。20万円以上ももらえるんやって。ラッキー。
でもチェックあまあまだなあ。僕みたいな安月給にはあまり関係ないけど,脱税とか簡単にできちゃいそうだ。

確定申告が意外と早く片付いたので,久々に渋谷へ。
学生時代にはどうしても東京で暮らしたかったんだよなあ。新宿とか渋谷とかのめちゃくちゃさに身を置いてみたいと思ってた。これからは一歩引いた目で見る。
映画を見る。「鮫肌男と桃尻女」。浅野忠信主演のハチャメチャ映画で,TVでやってた予告編がすごく面白そうだったので入った。笑いなし,涙なし,怒りとかの感情もなし。カッコよさとキャラクターのいびつさで押しまくる映画だ。若人あきらとか島田洋八とか久しぶりに見る人たちが気持ち悪い演技をしていた。
「踊る大捜査線」のほうが10倍くらい面白い。
髪の白い,一見化け物のようなコギャルがわんさか見にきていた。

今日から引越しのための荷造りを始める。ものが多すぎてどこから手をつければいいのやら。ダンボール3箱分詰め終わる。20箱くらいになりそうだ。

あ,そうそう。明日のバイトが見つかった。バイトのあとは麻雀をすることになっている。いっちょ稼ぎますか。


2月8日(月)

かゆい。体のあちこちがかゆい。しじゅうポリポリしている。
毎日風呂には入っているし,部屋だってたまにだけど掃除している。じんましんとかでもなさそうだ。友人にそんな話をしたら,ビタミン不足だと言われた。
仕方がないので,夕食にはホウレンソウをたらふく食べた。異常においしかった。やっぱり体がビタミンを欲しているようだ。

それはともかく,仕事っちゅうのは急には見つからんもんだ。
例のバイトに見切りをつけた僕は,一念発起して今日はバイト探しをしようと思ったのだ。
中野サンプラザには就職相談センターというものがあって,就職情報誌や関連書籍などがずらりと並んでいて,就職に関するちょっとした相談に乗ってくれたりもする。
午前中,そこでかたっぱしからバイト情報誌のめぼしい物件をメモしては電話で連絡をとっていたのだが,どこも「あれもう締め切っちゃったよ」「今ならキャンセル待ちだねえ」との返事。募集人数はどこも少なくて,たぶんバイト情報誌が出るとともに電話が殺到するんだろう。こんなところで不景気を感じるとは思わなかった。
それでも10件目くらいに「それじゃあ,今から面接きてください」というところがあった。引越屋さんみたいなとこなんだけど,働きたい日の前日に連絡して仕事があったら働きに行くという例のパターン。採用って簡単に言ってくれるのはそんなとこしかないのかもしれない。面接はごく簡単なもの。明日の仕事はありますかって聞いてみたけど,明日はないねえだって。まあ,気のいいおっちゃんがいっぱいいて楽しそうだった。

帰ってきて,自分の坊主頭にバリカンを入れてみた。
このあいだ,前の会社の人たちが送別会を開いてくれて,せんべつ代わりに「スキカル」をプレゼントしてくれたのだ。でもこりゃなかなかええで。刃が6種類付け替えられて,好きな髪型にできるっちゅうわけだ。あと誰が見るのか「使い方ビデオテープ」もついている。僕の場合髪型もなにもない。ひたすら刈る。バランスを気にしていたらとても短くなった。おこるで,しかし。
このおちゃめな人たちは,スキカルだけじゃなくトランクスもプレゼントしてくれた。前面が大きなペンギンの顔になっていて,くちばしのところからムスコが顔を出せるようになっている。一度はいて街へ出たことがあったが,出したくもないのに顔を出すことがあって痛いの痛くないの,もうあんまりはきたくない。

夜は確定申告の計算を少しやった。やな季節が来た。僕はめんどくさいことと関口宏が嫌いなんだ。明日仕上げてしまおう。


2月5日

引越しの日程が23日に決まった。タウンページで運送屋さんに手当たり次第に電話して安かったところに頼んでみた。でも引越しだけは本当にいろいろ当たってみたほうがいい。東京から京都まで,安いところだと7万円を切るけど,高いところだと18万円とかいわれた。松本引越センターとかクロネコヤマトとか引越しのサカイとかテレビでおなじみのところは高くも安くもない。ぱちもんみたいな運送屋さんに意外と当たりがあるもんだ。結局,オレが頼んだのはハート引越センター。明らかにアート引越センターのぱちもんで,そのほかにアーク引越センターとかもあってややこしい。

23日に荷物を積んだあと,オレは原チャで京都まで帰る予定である。どっかで2泊ぐらいしながらのんびりと帰ろうと思う。

今日はミスチルのニューアルバムを買った。邦楽で必ず買うのはミスチルくらいである。でもどうなんでしょう,このアルバム。シングルになった「光の射す方へ」は,オレ的にはミスチル史上5指に入れたいのだが,あとは2曲くらいしか好きになれなかった。なんか,もうちょっと休んでてほしかった気もする。ほんでがらりと変わって復活するみたいな。あと,桜井サマはもっと外に出ていろんな人とやったほうがいいんじゃないだろうか。

バイト先から連絡が来ない。オレとしては木・金・土と働きたかったのだけど,結局1日も仕事がなかった。カッシーの資料作りを時給10円でやっとけばよかった。8時間働いて1日80円,ひと月25日働いて月給2000円だけど。少な。


2月4日

もうかりまっか。
ぷーたろうは,ちいとももうかりまへんわ。そのくせ,飲み会だの送別会だの小旅行だのって出費はかさんでゆく。ここはやっぱりバイトせなあかんでしょ。

最初考えていたのは引越し屋さん。給料よさげだし,なんといってもオレはこれから関西に引っ越すわけだから,バイトついでに自分の下宿も引っ越せるんじゃないかと。そうしてアルバイト情報誌を見てたんだけど,短期でバイト代の高い引越し屋さんて意外とない。結局,おととい,バイトの派遣会社に登録してみた。
「この日に仕事くれ」とかあらかじめ予約を入れると後日,「この仕事してください」と事務や肉体労働など日雇いの仕事を紹介してくれるわけだ。時給は1000円くらいでまあまあ。どんな仕事がくるか分からないところは少しギャンブルチックで楽しみでもある。どうせ2月いっぱいしか働かないんだから正直な話,職種はなんだっていいのだ。

ところが,だ。登録後2日目にしてけっこう使えない会社であることが分かった。仕事がないんである。働きたいって予約入れても,結局連絡来ないんである。面接のときはいろんな仕事ができますよとか言ってたのに。
つまり予約を入れる人数のほうが,働ける人数より多いのだ。考えてみれば当然か。でもなあ,予約入れたら他のバイトに応募することもできんしなあ。仕事がくるかどうかじっと待ってるなんて,それこそギャンブルじゃねえか。
ぷーたろうに仕事を。切に祈るばかりである。明日仕事もらえんかったら別のバイト探したる。


はじめに

ひまだなー。
朝9時ごろ起きて,新聞読んでワイドショー見てメールとか書いて,ほんでもって料理作って本読んでプールで泳いで喫茶店で一服して買い物して,まだ時間があるんだもんな。

1月11日からぷーたろうな日々を過ごしている。
どうでもいいことであるが,この1月11日という日は浅野家では「3おねしょーの日」と呼ばれている。ちょうど20年前,オレが6歳のときのことである。オレには弟と妹がいて,当時4歳と1歳であった。ある日,オレは久しぶりにおねしょをして半泣きになっていた。おそるおそるオカンに告げに行くと,オカンは妹のおねしょの始末で忙しくしていた。妹もおもらししてやがる。ちょっとおかしくなったが,その時弟が泣きながら「おねしょしたー」と部屋に入ってきた。その日,浅野3兄弟は3人ともしょんべんを垂れていたのだった。その日から1月11日は3おねしょーの日なのである。ほんとにどうでもいい話だ。

ぷーたろう日記を始めるにあたって,どうしてぷーたろうになったかを説明する必要があるだろう。ぷーたろうになるのは簡単そうに見えてけっこう難しい。自分自身を納得させ,会社の人たちを納得させられる理由がまず必要だ。オレも辞める前にいろいろと理由を考えた。でも,理由なんてものはいくらでも浮かんでくるもんだ。書き出すとそれこそ1冊本になるくらい。まあ大きく分ければ,「やっていた雑誌もつぶれ異動もたびたび。結局今の部署も長くいる甲斐のない部署だし」「今なら新しいこと始められるかな」ってことです。

でもね。理由をいろいろ考えたってはっきりいって無駄。今思い返してみると,ただ辞めたかったんだなってだけ。辞めたという結果だけが残り,そのことだけが重要なのだ。まあ正しい判断だったと思ってるけどね。

会社の人にも納得してもらい,結局2月いっぱいで東京を離れ,関西に戻ることにしました。
関東のみなさん,さようなら。関西のみなさん,よろしく。
関東に残るって手もあるんだけど,どうせ一から始めるなら愛着のある関西でっていう気もするし,関西という地域に今非常に興味を持っているんですな。
なんか,野村阪神とかも好きになりそう。

それでは「ぷーたろう日記」,ときどき書きます。


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